【データの見えざる手】の読書メモと、幸せの国ブータン
少し前から気になっていた本『データの見えざる手』-ウェアラブルセンサが明かす 人間 組織 社会の法則-
(作者:矢野和夫) を読んでみた。備忘録がてら気になった点など簡単に書いておきたい。
データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則
- 作者: 矢野和男
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2014/07/17
- メディア: 単行本
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※目次
超ざっくり書くと、ウェアラブル端末を利用し、膨大な人間の動きのデータを溜め、人間の生産性や幸せなど、データとの相関を実験したような内容が書いてある本。
ド文系な自分には、物理や数学的な表現や方程式などは読みにくいところもありましたが、幸せを数値化するようなアプローチは非常に面白いと思いました。
どうすれば幸せになれるか?の問いに対する科学的データに基づいた回答が書いてありました。まあ、あくまで回答のひとつの切り口だとは思いますが…。幸せってなんでしょうね。
”幸せ”の半分は遺伝である
いきなり半分が遺伝て、割合が大きすぎないかい…とは思いましたが、とある研究結果によると幸せの50%は遺伝で決まり、残り半分は後天的なもの。
その後天的な50%のうち10%は健康や金銭などの環境要因で、残り40%は「日々のちょっとした自身の行動」によるものだとか。
誰かに感謝を表したり、困っている人を少し助けたり、自ら何か自発的に動くこと、その行動そのものが幸福感に繋がるようです。(※動いた結果が「成功かどうか」は問わない)
自分も含め、給料やボーナスが多いとか、車や家を買ったとか、環境要因の改善に人間は必死に生きてる気がしますが、幸せになるためには、40%を占める”自身のちょっとした行動”が重要だよ というのが、この本の1番のメッセージかなと思いました。
1日の活動予算は有限
自発的に動こう、幸せもついてくるよ。という話ですが、実際にどれくらい動けるかのデータは「人間の腕の動き」をウェアラブル端末で測定し測っていました。
この腕の動きは、7万回が1日の活動量としては限界らしいです。その有限な活動予算を1日のなかでどう効率的に割り振るかが重要とのこと。この割り振りを、テレビやラジオ、携帯電話などの電波の帯域に例えていたのが珍しい表現だなと読んでいて記憶に残りました。
活動内容によって利用すべき最適な「帯域」が違っていて、その帯域を間違えれば効率的な活動にはならないと。
休憩中の会話が活発だと生産性は向上
※実験の一例をメモ。
コールセンターでウェアラブル端末を使った実験。休憩中の会話が弾むと成約率が向上するなど、生産性がアップしたらしい。(インバウンド、アウトバウンドとも同様な成果)
普通、”オペレーター業務”と聞くと、あくまで個人プレーであって、個々人のスキルに成約率などの成果は依存してきそうなもんだが、意外なことに会話の活発度との相関があったようだ。結論、活発な現場では生産性があがる。まあ活発な組織は、活気のない組織より良いようには思うので違和感はない。
ただ、話したくもないのに同じ時間に休憩なったら、逆に生産性はガタ落ちしそうだが…。最悪な昼休み。実験時には良い方向に作用したんだなと、ヒネくれた見方をしてしまった。昼休みは気ままに1人でゆっくりしたい派はどうなのかな。
ハピネスは伝染するもの
身体運動は伝染する。あくびのように、周りの人間が活発だと自分も知らずに活発になりやすい傾向がある。ハピネスと個人の活動量 (≒身体運動)には相関がある。つまりは「ハピネスも人から人へ連鎖し伝染する」ことになる。
幸せ(ハピネス)は、各個人の内側に閉じた話だと考えがちだが、実はハピネスは集団内での人と人の関わりの中で実感されるものと言えるらしい。
業務でストレスはあってもハピネスを感じた経験はあまりないんだが、私の活動内容が悪いのか?ただ、周りにガンガン働きかけてハピネスを感じるなんて、一歩間違えれば 自己中心的な一方通行なお節介な野郎じゃないか?とも思ったり。。
そのあたりの関わり方にバランス感覚が必要だよね、という話にもなるだろうか。
データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則
- 作者: 矢野和男
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2014/07/17
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幸せの国?ブータンと幸福度
この本の内容とは関係ないが、幸せについて書いてあったくだりで「幸福度が高い国、ブータン」を思いだした。
ブータンは、経済的な成長指標の「GNP」(国民総生産)ではなく、「GNH」(Gross National Happiness)を提唱していて、国民の幸せ度を上げることを重視している国らしい。
過去の調査では国民の97%が「幸せである」と答えたことで「幸せの国」として一時有名になった。
前に何かの記事で読んだのだが、彼らの思う「幸せ」の定義の仕方がかなり達観したところにあるなと感じた。
ブータンの人は『将来を思い悩むよりも、今が心地良いかどうか?』を重視する傾向が強く、周囲の人と比較した相対的な評価で「自分の幸せ度合」はあまり定義していないそうだ。だからこそ「自分は幸せだ」と多くが答えられるのだろう。
ただ、”周りの人と比べない”と、言うのは簡単だが本当にそう心底感じて日々を暮らしていけるものなのだろうか?とは疑問も湧く。
ブータン国民のほとんどが敬虔な仏教徒である、という背景も強く影響しているような気がするが、それにしても自分には心底そこまで思えない。
ブータンでは、少し前までは海外の文化も入りにくい状況だったから比較する対象がいなかっただけ、が正しいような気がしてしまう。
海外からの情報乱入を防ぐため、2000年まではインターネットも検閲など制限され個人は自由に利用出来なかった。
今ではブータンでもスマホが普及し、インターネットカフェもティンプーなど都市部にあるらしいので、ようやく海外諸国の生活水準と比較して、自国の生活が一体どうなのか?相対評価が出来る状態になってきたんではないか、とは思う。
『データの見えざる手』では、幸せに及ぼす影響は、環境要因が10パーセントのみと書かれていたが、環境がある一定レベルに達していることは前提にあってのことではないかな。
さすがに衣食住が安定してなかったらどんなに他人に優しくしていても「幸せだ」とはなかなか言えないのではない。…が、敬虔な仏教徒なら言えるのか??
幸せってなんだろう?
今回、”見えざる手”を読んだが、データからは自分が納得できる幸せとは?に対する答えはないように感じた。
データをもとにした実験アプローチも面白かったが、ブータンの国民の考え方、というか仏教の宗教観に近いのものなのかもしれないが、数値化されない考え方に興味がわいたので次はそんな本でも読もうかな。
一度はブータンに行ってみたいな。バンコクからドゥルクエアーでフライトルートとしては行けるが、旅行で行くには未だに公定料金(200ドル/日)の決まりがあり、ガイドやドライバーも同行が必要だしビザも必要と、正直気軽には行けない国だけど、だからこそ一度は行ってみたいな。
いつか、きっと、必ず行く。ブータン。忘れないよう書いておこう。
おしまい。